マーガレットと素敵な季節 Marguerite et belle saison 

フランスでの日々、大好きな映画など

サヨナラ、ジョニー・アリディ(Johnny Hallyday) ~ フランスのロックスター逝去

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*写真は「lefigaro.fr」より出典

フランスの偉大なるロック歌手ジョニー・アリディJohnny Hallyday)が12月6日(水)午前2時直前、パリ郊外Marnes-la-Coquette (92)にある自宅で肺癌のため息を引き取った。74歳だった。このニュースを知ったときはとても驚いた。度々体調を崩し、手術を受けながらも復帰を宣言、今年6月24、26日にはパリ12区のBercyスタジアムでコンサートを行ったジョニー。その彼が亡くなるなんて.....。悲しさが込み上げ涙した。彼の曲で青春を謳歌した夫は、案の定気落ちした面持ちで帰宅した。

夜はジョニーのニュースがトップで流れた。その後もジョニーの特番でコンサートの模様が映し出され、翌日もTVがジョニー一色だったのに彼の偉大さを思い知らされる。TVでジョニーの訃報ニュースを見ながら泣いていた夫。夜はヘッドホンを付けジョニーのコンサート模様と共に大声で歌う夫の声が寝室まで聞こえてきた。

 

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ジョニー・アリディJohnny Hallyday) 

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本名Jean-Philippe Smet (ジャン-フィリップ・スメ)。1943年6月15日パリに生まれる。ベルギー人の父親とフランス人の母親共に俳優だった。父親は女と遊ぶ金欲しさにベビーベッドを売り払い、赤ん坊のジョニーは床に寝ていた。(⇒ジョニーファンの夫「バカヤローだ」と吐く。)

父親、母親共にジョニーを捨て、ジョニーは幼少から叔母(伯母)に育てられる。17歳(1960年)でデビューしたジョニーはボイストレーニングなどした事なく自己流で歌った。ジャズが主流だった60年代フランスにアメリカのロックシンガー・エルヴィス・プレスリー等の歌をカバーし、新風を吹き込んだジョニー。フランスのエルビスと言われる所以は彼こそがロックをフランスに持ち込んだ人だから。

・1960年ツアー開始。

・1963年にパリ12区の「Place de la Nation」で開かれたコンサートには150,000人のファンが押し寄せた。

・1999年彼の息子Davidによって製作されたアルバム「Sang pour sang」は200万枚のヒットを飛ばす。

・2000年エッフェル塔の下で60万人のファンを前にコンサートを行った。

・2015年最後のキャリアとなった50枚目のアルバム「De l'amour」を発売。

・2017年3年ぶりとなったParis Bercyでのコンサートに復帰する。

 

私生活 

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1965年4月、人気絶頂20歳のシルヴィ・ヴァルタンと21歳で結婚。翌年1966年8月に一人息子で現在シンガー・ソングライターダヴィド・アリディ(David Hallyday)が誕生している。トップ・スター同士の結婚生活は15年間(1965年4月~1980年11月)と比較的長いものだったが、常に報道記事の対象であった。1973年、2人が初デュエットした「J'ai un Problème(危険な関係)」はフランスで大ヒット(第一位にランク)、その夏には2人で2カ月間ヨーロッパ・ツアーを行っている。

1980年11月に離婚したが、フランス国民にとってシルヴィとジョニー(Sylvie & Johnny)は切り離せぬ永遠の伝説的スター・カップルである。その後、4度の結婚歴と多くの同棲生活歴がある。(ウィキペディアより一部引用)

  

家族 

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マイアミの日本食レストランで出逢ったレティシア(Laeticia)という女性に恋に落ち、1996年3月25日5度目の結婚をする。2人の年齢差33歳だった。2004年(Jade)と2008年(Joy)にベトナムから2人の女の子の養子を迎え、その後安定した家族生活を送った。

 

実子 

実の子供は二人。シルヴィ・ヴァルタンとの一人息子シンガー・ソングライターダヴィド・アリデー (David Hallyday) と、1982-1986年の間同棲していた女優のナタリー・バイとの一人娘で女優のローラ・スメ(Laura Smet、スメはアリデーの本名)。ダヴィドは2010年3月に全曲を自身で作曲・演奏まで行った新譜「Un nouveau monde (a new world)」の中でローラと一曲デュエットしている。(ウィキペディアより一部引用)

 

友人

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左のモノクロの写真は1960年モンマルトルにて。前からジョニー、友人のエディ。 

 

歌手Eddy Mitchell(エディ・ミッシェル)にとって友達以上、兄弟のような存在だったジョニー。二人はすぐに意気投合し友達になった。60年の付き合いの間、口論することなどなく、何の曇りもない付き合いだった。2人は一緒にバカンスを過ごすことはなかったが、どちらかの家または別の場所で一緒にご飯を食べたり、洗礼の儀式、結婚式、お互いの誕生日などを共に過ごした。二人は決して互いの私生活に口を挟む事はなかった。

 

 

夢のアメリカ

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「私の故郷、それはアメリカの歌」

小さい頃、一時母親の従妹と生活を共にしたジョニー。従妹の夫はアメリカでロックンロールを歌いながら生計を立てていた。これが後のジョニーの人生に影響を与えたのは間違いない。当初、彼のアイドルは24歳で世を去ったJams Dean(ジェームス・ディーン)だったが、その後Elvis Presleyエルヴィス・プレスリー)を見つける。彼はデビュー後まもなく「確かに、私はロックンロールを歌うために生まれた。」と言っている。

ジョニーは18歳の時に初めてハーレーダビッドソンを購入する。バイクを愛し、バイカーだった彼は、後にアメリカの「Route 66」を仲間と共に横断している。

 

 

セレモニー(2017年12月9日土曜日)

12月9日(土)正午、凱旋門からシャンゼリゼ通り、コンコルド広場を抜け、マドレーヌ寺院までジョニーの棺が運ばれた。マドレーヌ寺院前ではジョニーのバンドが追悼ライブを行った。セレモニーには、エマニュエル・マクロン仏大統領と妻のブリジット、エドゥアール・フィリップ 首相、フランソワ・オランド元仏大統領、ジョニーと交友のあった二コラ・サルコジ元仏大統領、ジャン・レノを始め数々の歌手や俳優たちが出席していた。

左からジョニーの妻Laeticia、ベトナムから養子で迎え入れた子供2人、ジョニーの実子LauraとDavid

ジョニーのバンド

エマニュエル・マクロン仏大統領(右)と妻のブリジット(左)

エドゥアール・フィリップ 首相

二コラ・サルコジ元仏大統領と妻のカーラ・ブルーニ

 

夫がジョニーの棺を拝みたいというのでシャンゼリゼ通りまで出かけた。通りはジョニーの死を追悼する人々の波で溢れていた。午前11時45分、凱旋門をスタート。ジョニーの棺を頭にフランス全土から集まった800台のバイカーがシャンゼリゼ通りを闊歩した。こんな光景を拝めるのは1世紀に一度あるかないかだと言った夫の目が涙ぐんでいた。

ものすごい人で辿り着けなかったマドレーヌ寺院前には前夜から泊まり込みで待っているフランス全土から駆けつけたファンがいた。また、TVでインタビューを受けていた男性は香港から13時間飛行機に乗りジョニーの追悼のためにやって来たと話していた。ジョニーがこんなにもフランス国民に愛されているのだと改めて知ることになる。フランスのジョニーのファンクラブ登録者数は10万人だが、ファンはその数倍以上いるのは想像に難くない。ちなみにこの日ジョニーのためにシャンゼリゼ通り周辺に駆け付けた人は1,000,0000人と報道された。

 

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埋葬

12月10日午前10時すぎ、ジョニーの棺を乗せた飛行機はカリブ海に浮かぶ小さな島サン・バルテルミー島(Saint Barthélemy・フランス領)へ旅立った。これにはがっかりするファンもいたが、家族との想い出が詰まったジョニーの心であるこの小さな島で彼は静かに眠りたかったのかもしれない。妻レティシアはジョニーがそこに埋葬してほしいと確信していた。

 

 

L'adieu à Johnny

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2009年5月31日「Stade de France」にて。80,000人が喝采した。


フランスにはたくさんの歌い手がいるが、彼を超えるロック歌手はいないと断言してもいいほど彼がフランス人に絶大な人気を得ていたのは頷ける。彼がTVの画面に映ると何とも言えない強い輝き感じるからだ。これが彼の凄さ、オーラなのかもしれないが...。

幼少時代は悲しい思いをし、歌手としてデビューした後も自殺未遂、アルコール、ドラッグ中毒、うつ病とジェットコースターのようだった彼の人生。それでも何度も這い上がって来れたのは彼の魂の強さなのだと思わずにいられない。歳を重ねても変わらぬ歌声、そして最後まで歌うことを諦めなかったプロ根性。歌だけではなく、驕り高ぶらない彼の人柄、彼の生き様全てがたくさんの人を魅了してきたのだと思う。

ファンにとってアーティスト以上に友達のような、家族のような存在だったジョニー。たくさんの人々に見送られて微笑んでいるジョニーの姿が目に浮かんだ。それを映し出すかのよう前日までの天気が嘘のように雨上がり綺麗な青空だった。

 

 サヨナラ、またいつか......ジョニー・アリディ。心安らかに。

 

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2017年7月5日、最後のコンサートとなったCarcassonneカルカッソンヌ)にて。

 

ジョニーが最後にファンに向けた言葉はÉdith Piaf(エディット・ピアフ)の歌詞から引用したものだった。「Je ne regrette rien, car ma vie, car mes joies, aujourd'hui, ça commence avec vous!(私は何も後悔しない。私の人生のため、私の喜びのため、今日、あなたと共に始まる!)」

 

 

 

 

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